ARTノTANEMAKi

まちに広かれた広場を活用したFamily art day

そんなことを考えていたある日、茅ヶ崎の街なかにある集合住宅の広場で開催されたアートイベントに足を運んだ。高砂通りに面し、図書館や美術館にもほど近い「たかすなヴィレッジ」。その入口部分にあたるまちに開かれた広場に「Family art day」という看板が掲げられた。

会場でまず目に飛び込んできたのは、畳3畳ほどの真っ白な大きな紙。少し離れた木の麓には、パイプ状の発泡スチロール、卵の容器等さまざまな材料が並べられ、さらに奥にはタイヤやドアノブ、木材やタイルなどが準備されていた。

そこに現れたのは、10組ほどの親子。幼児から小学生まで、幅広い年齢の子どもたちは「何が始まるんだろう?」と興味津々の様子で、開始の合図を静かに待っていた。

「この音は何色かな?」

主催団体ARTノTANEMAKi代表・栗林大空さんの声掛けにより、イベントがスタート。子どもも大人も、まずは大きな白い紙のまわりへ。「絵の具遊びの向こう側へ」と名付けられたそのエリアで筆を手にした子どもたちに栗林さんは、こう問いかけた。

「この音は何色かな?」

スピーカーから流れてきたのは、鳥や動物の鳴き声のような音。一瞬戸惑いの表情を見せた子どもたち。でも奥行きのある賑やかな音に誘われるように絵の具を選び、筆を動かし始めた。何か決まったものを「描く」わけではなく、ただ音とともに感じるままに筆を動かす。子どもたちは次第にその行為に引き込まれていった。

途中、音楽がクラシックに変わると、子どもたちの動きはさらに伸びやかに。靴を脱ぎ、紙の上に座って表現する子も現れた。スタッフが、葉っぱや歯ブラシ、刷毛などの入った箱を差し出すと、筆から持ち替えて絵の具を付け、ざらざらとした歯ブラシの感触を楽しむ子、葉っぱを叩き付けるように描く子、刷毛に染み込ませた絵の具をはたき落とすように表現する子…。

表現の虜と化したこどもたちの表情はとても美しく、あらゆる表現が歓迎されるこの場は、まるで壮大な自然のような美しさを放っていた。

廃材≠ゴミ。 レゴブロック≠組み立て玩具。

絵の具遊びが一段落した子どもたちは、思い思いに心惹かれる場所へ。小学生の女の子たちがまっ先に駆けつけたのは、「まちの廃材からファッションエリア」。養生用の発泡スチロールが、鎖やテープによってみるみるうちにおしゃれに飾り付けられていった。

卵のパックだって、あっという間にドレスに変身。子どもたちによって、次々に廃材に息が吹き込まれていった。

一方、「素材組み立て遊びスペース」には、パイプや木材にテープを貼り付けて、何やら真剣な表情の子どもたちの姿が。

実際に触れて感触を確かめて、中を覗いて…。お母さん・お父さんとあれこれ対話しながら素材そのものを探究し続ける子どもたちの姿も見られた。

レゴブロックが並べられていた一角では、小さなピースをきれいに整列させている子どもたちの姿が。組み立てるのではなく円状に並べることで、カラフルなアート作品「むしめがね」ができあがっていた。

「廃材=ゴミ」、「レゴブロック=組み立てる」という既定の概念は、ここでは軽快に塗り替えられ、表現の可能性がどこまでも広がっていくのを感じた。

「制約」ある中の「自由」

子どもたちがどっぷりと表現に浸った1時間の最後には、振り返りの時間が持たれた。そこで栗林さんは参加した親子の感想を聞くとともに、「ここは自由な表現の場です。でも制約のある場でもある」と語った。

Family art dayは、「何で遊んでもいい」「表現に正解はない」という意味ではとても「自由」な場。でも見方を変えると、「広場にある素材だけをつかって、1時間で表現する」という、場所、道具、時間ともにかなり「制約」のある場でもある。たとえばここには新品の色画用紙や折り紙、塗り絵やスケッチブックもない。終了時間後には、素材も片付けられてもとの広場に戻ってしまう。

でも子どもたちの姿からは、ここでの制約にストレスを感じた様子は見られなかった。目の前の限られた素材を使って、どこまでも自由に、クリエイティブにこの場を楽しんでいた。子どもたちの姿の中に、制約ある社会を楽しむためのヒントを見た気がした。

日常へ落とし込む「つながりのデザイン」の可能性

一方で、そんな子どもたちのクリエイティビティを、イベントから日常へと落とし込み持続させるためには、「つながり」のデザインも必要だと感じた。

たとえば今回、「まちの廃材からファッションエリア」および「素材組み立て遊びスペース」の素材は、市内の建築・設計会社やNPO法人、計8団体から提供してもらったもの。もし、参加者親子が自らまちの企業に足を運び、廃材を見つけに行くことができたら。あるいは、このワークショップのあと、自分の作品を持って提供企業の方々と対話することができたら…?

子どもにも大人にも、循環する暮らしにつながるような気づきが生まれたのではないだろうか。子どもと大人が学び合い、「まち」が有機的につながるきっかけになったのではないだろうか。

不確実で制約の多い社会を生き抜くためには、ただ「自由」を求めるだけではなく、制約の中でもクリエイティブである力が必要となってくる。今回のイベントを「楽しかったね」で終わらせず、これからの社会を生きる力の原点となる“たねまき”の可能性を探究していきたいと強く感じた1日だった。

(文:池田美砂子 ライター・エディター「ARTノTANEMAKi」構成員)

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